現役の理系研究者::ぼくはPhD.KKK

フェローシップ(助成金)獲得で、国内のブラック研究室から解き放たれた生粋のアル中研究者。生命科学専攻。ゆるーくポップに分かりやすく、をモットーに「医科・生物学の話題」と「摩訶不思議な研究職ライフ」を発信します!英語力0からの留学経験に基づく「初心者向け」英語学習テクもあるよー٩( ᐛ )و

【マインド】あなたの仕事・研究が進まない"無自覚"の理由

こんにちは、現役研究者 PhD.KKKです。

社会人の方、研究者の方、そして頑張っているあなた.. 正直に言ってほしいんです。あなたの近くに「いつも批判ばかりしてくる上司・同僚」は居ませんか? 答えがYESで、あなたが袋小路のような状態にいるなら、この仕事術が助けになるかもしれません。

この記事では、仕事や研究を頑張っているのに進まない重大要素批判的思考」の正しい運用方法について解説して、それを「生産的思考」に変えていくための具体的な「言葉をお伝えします。

抽象的なアドバイスはしません。"この言葉"を返す。それが、あなたの仕事・研究を次のステップに進めるためにきっと必要です。もちろん.. 次のステップにいったら即解決!とはならないでしょう。それでも、"この言葉"は、今の袋小路の状態から一歩踏み出すために必ず役立ちます。少なくともそれは、いつでも僕の仕事を好転させてくれる「キッカケ」です。

 

あなたは、「批判的思考」と「生産的思考」どちらに今、悩んでいますか?

 

<目次>

 

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批判的思考の正しい使い方とは

 

まず最初に、僕は「批判」を批判するつもりはないんです。もちろん、批判家の"あの人"の伝え方は間違っていたとは思います。ただ、僕たちの仕事・研究が「上手くいかない時」そこには理由があります。問題、といった方がいいでしょう。この問題を発見し、共有する上で「批判」には効果的な側面が一つあります。

 

それは問題のデメリット・不利益が強調されて、潜在的な危険性と危機意識を共有しやすいことです。逆に言えば、批判というのは「客観的」でなくてはなりません。つまり感情以外での、明確な不利益の理由が必要です。これのない批判は、ただの中傷になってしまいます。でもですよ。客観性のある批判であっても、その用法、または批判の目的を間違えてはいけません。それはやはり中傷になりうるのです。

 

「〇〇はダメだ」
「△△であるから、〇〇はダメだ」

 

この言葉、批判はどうして必要なのでしょう?
どんな時、これがあっても良いのでしょう?

批判の本質を尊重するならば、それは問題解決するために、問題を共有する」必要性があるときではないでしょうか。客観的理由に基づいて批判したとしても、共有された問題を深堀りで批判するのであれば、それはやはり中傷でしょう

基本的に、効率的・生産的な仕事術の以下の4ステップに分けられる、とよく言われています。

 

① 現状の整理
 : 困っていることは何か

② 問題の共有
 : その困っていることによる不利益
   または、解決する必要性の議論

③ 問題の解決
 : どう解決するか、そもそもできるのか
   または、解決せずとも緩和策はないのか

④コスト管理
 : その解決案は現実的に実現可能か
   その実行コストは利益を上回るか

 

何度でも言いますが、批判には「客観性」が必要です。苛立ったり、マウントを取る時のそれは須(すべか)らく中傷となりえます。そして、目的は「問題共有」です。何度も必要以上に批判を繰り返すのは、やはり人を不幸にする言葉となるのでしょう。

 

僕は今から中傷を言います。

批判家に「で、どうするの?」そう訪ね返して、"案が一つもない"なら、それは無能です。

 

僕は今から批判を言います。

批判家に「で、どうするの?」そう訪ね返して、"案が一つもない"なら、それはお互いの時間をただ無駄にしています。

 

僕は今から生産的なことを言います。

批判家に「で、どうするの?」そう訪ね返して、"案が一つもない"なら、僕や、相手はどうしたら良いと思いますか?

 

批判は、問題解決への議論のワンステップです。
議論とはです。回答"案"の打ち合わせです。

事実を述べるだけの批判は、きっと誰かを傷つけますよ?

 

生産的思考を始める「たった一言」

 

批判の本来の在り方を尊重するのであれば、誰が何と言っても、それは「ワンアイディア」であり「即席の問題提示」に過ぎません。"こういう問題がある"という意思表示です。言い換えれば、相手に「否定された」と思われた時点であなたの批判は伝え方を間違えていることになります。目的は「共有」ですから。

 

「そこに問題がある」という危機感を強調するための「批判」があった時。回答は、確かに「その問題は存在するYES」なのか「問題として同意しかねるNO」なのかだけなんです。相手もそれを受け入れるべきなんです。全てはワンアイデア、同意を得られなかったのは自分の論理・伝え方の責任とも言えます。そして問題に同意ができる場合、あるいは、同意しかねるNOではあるが議論の余地はある場合、続く言葉はこうなることでしょう。

 

1st step: 同意
「そうですね、あなたの言う通り、○○は問題であると僕も思います」

2nd step: 理由
「僕としても、△△という状況があって、同じ問題に困っています」

 

3rd step: 生産的な議論

☑ 「どうにか解決できたら良いんですけど、どうですか?」
☑ 「形になってなくてもいいので、何か解決へのアイデアがあったら知りたいです」

 

答えが"NO"で終わるだけであったとしても、「解決術がないと思っている問題をどうして共有したんだ?」と無下にしてはいけません。誰かにただ聞いて欲しい時は、やっぱり誰にだってあるので、稀には「どうしようもないよね」というお話もあるでしょう。

またNOであっても「ちょっと思いつかない。だからアイデアないかな?」と問題提示が返ってくる場合もあるでしょう。自分1人の力では限界があって、異なった視点から着想が必要になるときだってあります。それを素直に言える人は素敵な人だと思います。

 

逆に"YES"から始まる上で「こうすべきだ!」と言うなら、するといいと思います。同意できるなら手伝っても良いかもしれません。本人は「すべき」だと思っているので自分でしてくれるはずです。ただ、誰しもが諸手を挙げて協力的とは限りませんので、「こう思うんだけど、どう思う?協力してくれる?」とワンアイディアを共有して、多角的に完成させていくステップを挟んだ方がより安牌だと僕は思います。自分1人の力では限界がありますから。

 

批判は、問題解決への議論のワンステップです。
議論とはです。回答"案"の打ち合わせです。

で、どうしよっか?」の一言が、議論を開始する第一歩です。

 

まとめ

 

僕もまだまだ未熟で、プロジェクトリーダーとしての経験で、たくさんの失敗体験と成功体験をしてきました。そうした中で僕が思ったことは、「相手は絶対に自分とは違う視点を持っている」ということです。どちらが優れている、ではなく、最重要なことは「相手の視点を知ることは、必ず自分に新しい考えを生んでくれる」ということなんです。

 

相手のコメントが自分の知らない未知のものなら、シンプルに新しい思考を発見できます。

 

相手のコメントが自分と同じものなら、相手の理解がどこまで来ているのか見積もれます。それは反対に、自分の物事を伝える能力の現在地点を知る機会になるでしょう。

 

あるいは相手のコメントが劣っていると感じるものであったとしても、そのコメントが出たという事実は変わりません。つまり、同じコメントが他の人からも出ることでしょう。それは自分の対応性が「そのコメント」には対処できそうということの確認になりますし、「そのコメント・疑問・誤解」の下地をなくすための対処をする機会になるでしょう。

 

議論は「問」です。問に必要なことは「対話」です。問い掛けと、アイディアを繰り返すことなんです。誰も神様じゃないですし、未来のことは分かりません、絶対の完全無欠の人もアイデアもなんていないんです。

 

対話の数だけ僕たちは成長できます。
重要なことは「問いかけること」と「答えること」です。

これをずっと、忘れちゃいけないと、僕は思います。

 

ではではー