【強烈にネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想と考察: 1ヶ月語の記録
前回記事
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公開初日に観に行って、これを書いたわけですが..
あのときには言葉に出来なかったことが、言葉に出来るようになったので、改めて簡単に感想を。エンタメとしての考察はしません。それはそれで、面白いものですけど、ここでは芸術作品としての考察..
きっとぼくだけじゃない
シン・エヴァを観た人の胸に去来するナニカ
その本質と、最終的な「ぼくのエヴァンゲリオン」についてのお話です。
*注意*
ストーリーではなく、概念的なネタバレになるので注意⇒ハッピーエンドかバッドエンドか、みたいなレベルでのネタバレ。あと、最終フレーズのセリフ公開。他は特にありません。
それから1ヶ月経って
結局、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||、3回観に行ってきました。
1回目の僕に残ったのは、虚無、で
(↑何もかもが、さらばしてる事実に気付く..)
2回目の僕は、素直に面白い映画だと思って
3回目で、初めて泣きました。。
え?
逆に?
僕、2回目見終わった後に、「アニメ ⇒ 旧劇場版 ⇒ 新劇場版: 序: 破: Q」と観てから、再チャレンジしたんですよね。で、気付いたんですけど。。
やっぱりアレ、アニメじゃねーですわ。
前より明確に言語化できるようになったんですけど。。
エヴァンゲリオンシリーズって、内容的に、いろんな登場人物がトラウマを持っていて、いろんな登場人物の環境に問題点があって、それが浮き彫りになるアニメだと思うんです。
そのトラウマ/問題点って言うのは間違いない「リアル」です。
なので、僕達の内面に、共感できるトラウマ/問題点があると、自分の中からそれが浮き彫りになって、登場人物たちの苦悩と一緒に育っていくんです。。
で、旧劇場版で「気持ち悪い」になる。
全然、そのトラウマ/問題点が解消しないままなんです。それを新劇場版: 序: 破: Qで、同じことを僕達は繰り返して..
シン・エヴァンゲリオン劇場版:||で「行こう」になる。
*「気持ち悪い」「行こう」は双方の最後のフレーズ
解消するんですよね、遂に。
だから気付くと、自分の中から深層心理、あるいは知覚していたトラウマ/問題点が浮き彫りになって、リアルとイマジナリーがごっちゃになった場所で膨れ上がって.. 最後にキレイに洗い流されるんです。
さらば、トラウマ/問題点
(ルビは"エヴァンゲリオン")
だから、3回目のシン・エヴァンゲリオン劇場版:||で泣いたのは、ストーリーじゃないんですよね。キャラに共感して泣いたわけじゃなかったです。これ、京アニのヴァイオレット・エヴァーガーデン観た時も思ったんですけど..
元来、アニメーション自体はエンタメじゃなくて芸術なんですよね。今更それを思い出しました。
アニメのストーリー展開で泣いたことはあったんですけど、このエヴァで泣いたのは、アニメーションというか、映像構成というか(←特に最後の追い込みがヤバい)、その芸術性の奔流で、命が洗濯されて泣いたんだと思います。
*ちなみにヴァイオレット・エヴァーガーデンは、もうただヴァイオレットちゃん泣けば、もうぼくは泣く。人は、誰かが泣いていたら悲しくなる生き物なんだって当時思いました
洗濯物って、きっとたぶん、汚れ落とされるのに、痛くて過酷な洗浄過程を経てるんですよね(中に入ったことないですが)。。エヴァはそれです。エヴァはアニメから洗濯機になりました。
お風呂じゃなくて、
「エヴァは命の洗濯よ!」でした。
そういうわけで
何のアニメが面白いか?と訊ねられて、ぼくが今後「エヴァ」を紹介することはないでしょう。エンタメとしての面白さを十分に満たしつつも、ぼくは「エヴァ」を芸術作品に位置づけてしまっているので「面白い、というより、エモい」ただ感じるものだからです。
でも。
漠然と心が淀んだ時、ぼくはエヴァシリーズを観て、自分の中の問題と向き合って、半リアル/半アンリアル化して、シン・エヴァで「さよなら⇒行こう」することにします。何度でもそれをするでしょう。
そうしたらまた、
人生頑張ろうって
そう笑える気がするんです。
いい作品だったな。
ありがとう、おめでとう庵野監督。